野生クマに捕獲されました。

街っ子が野生クマに捕獲されて振り回されている日常です。

どたばた九州車中泊~長崎原爆資料館~(6月26日)その25

長崎原爆資料館へ向かいました。
九州車中泊に行く時、長崎はルートに入らない事が多くて今回初めての訪問となります。

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修学旅行の定番らしいのですがkuma-yomeは行った事が無かったし、高校の同級生等も行った事が無かったという原爆資料館
この年になっても正式名称を知らなかったくらい良く知りません。
駐車場に居たお爺ちゃん2人はとっても明るくって優しい感じの人だったので初めての長崎観光も少しホッとしました。

駐車場から建物に入って直ぐトイレに行くととっても狭くって危ない感じのトイレがあってトイレに入るのも手を洗うのも大変な感じでしたが、受付のあるロビー辺りはとっても綺麗で明るい感じのするイメージとは全く違った素敵な内装に驚きました。

ロビーにいたお姉さんも親切で、kuma-yomeが足を悪くしていると分かると「車いすをお持ちしましょうか?」と声をかけてくれました。色んな場所へ観光へ行きますが、車いすをお持ちしましょうか?と言われたのはここが初めてです。案内をお願いしたのに、足が悪いと分かっていながらハイペースで歩いて置いて行かれるなんて事は最近の案内係にありがちでお城や県立美術館クラスになってようやくゆっくりと歩きながら付いて来れているか確認するという行動がとれる案内係が出る程度。

調子が良い時は早歩き程度ならできますが、普段は早歩きをしようとすると激痛が走るんですよね。見るからに足が悪いと分かる歩き方をしていて手すりを持って階段やスロープを利用していると分かっていながら自分勝手なペースでお客さんが付いて来てるかどうか確認もしない案内人なんて意味が無いと思うのですが、初めて車いすを提案されてちょっとテレてしまいました。

車いすって怪我をした人や術後の人も利用しているって頭では理解しているんですが、公共の場で提案されるとちょっとテレ臭いです。老熊も車いすを押す経験は無い為かえって危険ですしね。

でもそれだけの心使いができる資料館、美術館等が無いので長崎の人の心優しさというか仕事への真剣な取り組みに感動です。

 

展示エリアに入る直前に原爆投下年月日が掛かれてある所を通りました。
そこからがガラッと雰囲気が変わりますね。

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kuma-yomeが小学校の頃は「反戦登校日」といった感じで夏休みに1日だけ登校しなくてはいけない日というのがあり、夏休みの間会えなかった友達と夏休み何してたかの話で盛り上がったりしてましたね。

そんな楽しい雰囲気も教室から体育館へ移動して戦争や平和についての映画を見せられるとガラッと変わって静かに教室の席に戻ります。
担任の先生が戦争についてや「さっきみた映画」について少し話をした後で戦争や平和について作文を書きます。

普段「作文なんか書かれへんしダルイ」「適当に用紙埋めたら良いんやろ」なんて言ってるような子も真面目に取り組んでいました。

その時に聞いた話しでは「大阪も候補に上がっていて、その日たまたま雲が多かったから唯一雲がぽっかり空いていて晴天だった広島に落とされた」と聞いたのですが、展示物を見ると原爆投下の4か月弱前までは大阪だけではなくって17都市も候補にあがっていたんですね。

子供の頃から「京都はアメリカ軍が歴史的遺産が多いから絶対に落とさなかった」という噂を何度か聞いていたんですが、この時検討されていたという事は「歴史的遺産が多いから落とさなかった」というのは単なる噂だったのかな?と今になって感じてしまいます。

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4月末から5月10日の間に一体何があったのか分かりませんが、投下目標が一気に4都市まで絞り込まれて28日には3都市、30日には京都を目標から外して2都市と急激に絞り込まれて行ったんですね。

この辺りの歴史的な話しや再現番組等を見た事が無いので「京都がギリギリまで残った理由及びギリギリになって外された理由」も「選ばれた2都市の理由」も分からないのですが、関西も他人事じゃあなかったんだなと改めて実感しました。

31日に投下に際して日本に事前の警告を行わないことに合意とありますが当然ですよね。もし警告なんかしちゃったらヤケクソになってどんな攻撃を先にしかけて来るか分かりませんもんね。

戦争って遊びじゃあなくって国と国との命や国土、色んな物をかけての真剣な殺し合いなんだから「今からやるよ~」なんて子供みたいな事を言わないのは当然だけど偉い人達は安全そうな場所に隠れていて、巻き添えをくうのはいつもか弱い一般人ってのが当たり前といっても辛すぎますね。

昔8月になると戦争映画とか反戦番組とか良くやっていて外国人が「神風」という言葉が嫌いな理由は特攻隊を思い出すからとやっていた記憶があります。

なんのためらいも無く効率的に空母等にダメージを与えるべく戦闘機が突っ込んで来る姿を見た兵士が怯えたとやっていました。

自分の命や愛する家族を思うのではなく「天皇陛下」という国家の代表に対して惜しげもなく命をささげる姿が恐怖に写ったとの事。

当時の教育を受けていた人がどのような思考回路だったのかは知りませんが、もし目の前でそういう姿を見たとしたら「ホントに恐怖を感じるだろうな」と思ってしまいますね。

展示物はどれも迫力があって「こんな物が曲がったんや。」「こんなんがグニャグニャに溶けたんや」と思わず見入ってしまいました。

日本人や日本人っぽい容姿をした外国人や白人の方も来られていて、白人の方はアメリカ兵や日本で戦争にあった外国人の英語インタビューを真剣に見て居られたり、展示物も真剣な様子で見られていましたが、日本人や日本人っぽい容姿をした外国人は時折楽しげな騒ぎ声をあげながら展示物やインタビューをチラ見しています。

「命の重さや戦争についての思いやそれに対する教育が全く違うんだな」と感じてしまった瞬間でした。

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展示物のエリアを過ぎて広い場所に出ると、色んな学校の贈り物が飾られていました。
これは修学旅行や社会見学で来た時に手渡すのか、訪れた後学校へ帰ってから作成して送るのかどっちなのかは分かりませんが、一般的にイメージしていた千羽鶴だけではなくって鶴を貼りつけたボール状の物や旗のような形をした物もあります。

地名として聞いた事のある名前なだけですが、関西の学校も結構来ているんですね。
トイレもこの近くだととっても綺麗で広いのがあったので、あそこのトイレはあまり利用する人が居ないとりあえず設置トイレ的なものだったんでしょうか。

老熊は屋外にある有名な場所へ連れて行きたかったようですが、あいにくの雨量で断念。ロビーにいる職員さんは親切で「あまり濡れずに行く方法」を考えてくれたのですが、kuma-yomeが足を悪くしていたのもあり無理だとの結論になりました。

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原爆資料館を出て少し行くと雨がぴたっと止んでしまいました。
「屋外の有名な所にも行けたかも?」とチラッと思ってしまいましたが、始めての場所で雨の中、雨上がりの状態での移動は危険があるかもしれないので今度天気が良い時に行かなくてはいけませんね。

長崎って都会具合は分かりませんが、少し車で走ったダケの場所に40分100円の看板が現れました。あまり大きくない車だったら超お得なんじゃあ?と思ってしまいましたが、ひょっとしたら「この辺りじゃあ当たり前の値段なのか」と悩みながら通過します。