1月も終わりのある日。
kuma-yomeが毎月行事である帰省の為大阪市内へ行く時に老熊が送り迎えをしてくれました。
この日は何故だか警察官の姿をよく見かける日でこの時以外にも3回見かけました。
「変な混み方してるなー」と思ったらどうやら何かトラブルがあった模様。
警察の方が数人一人の人を囲んで話を聞いています。
通る度に緊張が走る場所。
一度危なく高さの低い方へ行きかけた事があるので、ここでは少し黙ります。
少し前に突然老熊からLINEでニュース記事が送られて来た事があって、見てみたらなんと丸で囲った黄色と黒の縞々柵がグニャグニャに壊れている写真がありました。
いつもここを通る時に「何でこんなに高さ制限主張してるんやろ?」と思っていたんですが、実例があったんですね。
用事が終わってkuma-yomeの大好きなうどんを食べにショッピングモールっぽい場所へ連れて来てくれたんですが「タイヤが曲がってると居り難い」というkuma-yomeに対して「避けて降りろや」と冷たい言葉。
前回の車は乗り降りがし易い場所に足を置く場所があったんですが、今の車はピンクの丸で囲った場所にあるのでカナリ不便。
足を置く場所に足を置くと落っこちそうになるのでkuma-yomeはここに足を乗せずに天井とフロントガラス隅にある2つの手すりを使ってゆっくり手の力で降りてます。
乗る時は2つの手すりを持って腕の力で体を引っ張り上げて乗ってるので、こんな風にタイヤが出っ張ってるとズボンにタイヤの汚れがついちゃいそうで嫌なんですよね。
kuma-yomeは一年中通して冷たいうどんを食べます。
なので10年以上行ってるお店の人にコンビニで会った時に声をかけられました。
「あー久しぶりー」その地域には昔は知り合いがいたものの今は全く居ない筈なのに「誰やろう?」と思ったらお洒落メイクをしたお店の店員さんでした。
kuma-yomeがそのお店へ行き始めた頃はお爺ちゃんとお婆ちゃんの二人でやっていて、子供が行くと接客役のお婆ちゃんが忙しい時でもニコニコして子供の頭をなでてくれたのを思い出します。
何度も行くようになるとお婆ちゃんは食後にと、飴ちゃんを子供にくれたので子供も良くなついていました。
子供が大きくなって一緒に出掛ける事もなくなった後しばらくすると、お婆ちゃんの姿が突然お店からなくなりお孫さんくらいなのかな?といった感じの若い感じのいいお姉さんがお婆ちゃんの代わりに働いていました。
そのお姉さんが居ない日に時々働いていたのが、声をかけてくれた人で最初は「表情が乏しい印象だしお爺ちゃんに怒られてばっかりで大丈夫なんかな?」と思っていたのですが、その時会った時はイキイキとした笑顔でした。
そして長年の疑問だったお婆ちゃんの事について聞くと仕事中の怪我が原因で働けなくなったんだそう。
道で会ってももう分からないくらい顔も忘れてしまったけれど、亡くなった訳ではないと知って安心しました。
その方からは「お婆ちゃん知ってるって結構前から来てくれてるんやねー」と喜んでくれまるで久し振りに会った友達のような会話をして分かれました。
そういうアクシデントがあるから故郷って好きなんですが、老熊はそういう大阪市民的な所は嫌いだそうで「客はツレか!」とよく怒っています。
kuma-yomeを待っている間にホームセンターへ行って色々買うのですが「見切り品」を見つけてレジへ持って行った時には「これ安いよね!」とか「これ安くなったばっかりなんですよー」みたいな感じで少し興奮気味で話しかけられたりするのが嫌らしいです。
何か些細なトラブルがあった時も「ちょっと待っててー」と言われたらしく「何やあの態度!」と怒ってました。
一度だけkuma-yomeの病院に付いて来てくれた時には診察室内から中待合室にいる患者さんに向かって「〇番の診察室にお入りください」と先生がマイクで言った時に「何やあの話し方!」とビックリしていたので「何でそんなに怒ってるんやろう」と思ったらやる気のないダルイ話し方に聞こえたらしいです。
kuma-yomeには全く普通の話し方にしか聞こえないし、老熊のように聞き取れないという事は感じた事がないので市内と市外とでは結構発音とか色んな面で違いがあるんだなと改めて実感した記憶があります。
老熊に言われて初めて気が付いたのが、時々何度も番号を呼ばれてるのに診察室に入らない人が居て、看護婦さんがウロウロ探しながら何度も呼んでやっと返事をする人がいたのはキット市外の人で聞き取れなかったのかな?と思いました。
本当に外に出ないと分からない事っていっぱいありますよね。
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