何気なくスーパーに行ったら珍しいカップラーメンが置いてあって、限定品とかおまけ付きに弱いので買い物かごに入れて持ち歩いて、しばらくしてからふと見るとはっぴばぁすでい...はっぴーバースデー...はっぴ?ばすでー?と頭の中で若干悩んでから意味が分かったので、買い物かごを見つめたまま不覚にも少し微笑んでしまいました。
子供の頃はCMで金髪の人が透明プラッチックフォークで美味しそうに食べているのを見て憧れていたので、少ないお小遣いを貯めては時々近所の自販機へカップヌードルを食べに行った記憶があります。
我が家の近所には小学生が出歩ける距離に2つだけカップヌードルの自販機があって、どうしてもフォークで食べたいkuma-yomeはフォークがちゃんとあるかどうか確認してからお金を入れてました。
公園とかベンチとかそういった類の場所が近所に全く無かったので、玄関前に置いてある椅子に座って一人で黙々と食べていましたね。
気が付けばそこにカップラーメンがあった世代なんですが、老熊はお爺ちゃんなのでカップラーメンが販売された時の事をしっかりと覚えているというし、kuma-yomeの子供の頃には普通にあった家電製品なんかも子供の頃家になかったりしたらしいので、昭和の時代って「目まぐるしく国民生活も食生活も変わっていった時代なんだな」と感傷にひたってしまいます。
記憶に残っているテレビ番組も違いますしね、懐かしのあの歌なんかも全く知らないのばっかりだし、「怪物くん」「パーマン」は歌が全然違うし、老熊の時代は「パーやん」が居なかったと聞いてビックリしたんですが、一番びっくりしたのは「ハットリ君」が着ぐるみで実写だったと聞いた時ですね。
「忍者ハットリ君」ってタイトルだったと思うんですがkuma-yomeの頃はアニメだったし、「Dr.スランプあられちゃん」と「ドクタースランプ」両方知ってる世代なんですが、老熊は「Dr.スランプあられちゃん」しか知らないみたいですしね。
世代が違うと「同じ物でも感傷的になるポイントが色々違って面白いな」と思えるのは精神的に余裕があるせいですかね。
kuma-yomeの周りは「自分の知らない事は存在しない」的な考えの人ばっかりだったので、相手との違いを知り楽しむ余裕ができると色々と視野が広がるなと実感。
カップヌードルはカップヌードルの誕生日当日まで大事に取っておいて、密に誕生日のお祝いをしようと心に決めました。
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