野生クマに捕獲されました。

街っ子が野生クマに捕獲されて振り回されている日常です。

資格試験に挑戦?!(5月13日)

このブログは遅れて記事を書いております。

無資格&無免許なkuma-yome。
悩んだ末に資格試験を受ける事に決めました。
元々体が弱くって「遠出禁止」と言われていたので生まれ育ったエリア以外は殆ど出かけた事がありませんでした。

色んな勉強をしても様々な事があって自分の物にする事ができませんでしたが、今回休みながらも1年以上続ける事ができましたので、資格試験に初チャレンジです。

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初めての手話との出会いは社会人1年生の時にお客さんが手招きしてkuma-yomeを呼んだ事から始まりました。

その方は料理に入っている具が何なのか分からないので気になったらしいのですが、持って来たメモに文字をサラサラと書いて見せてくれました。

草書体っぽい文字だったのでサッパリ読めず、具が何か知りたいのかな?くらいの事しか分かりませんでした。

ベテランパートのおばちゃんを呼んで見て貰ったのですが、誰も具の名前が分からず厨房へ行っても具の名前は分かりませんでした。

チェーン店なんてソースを混ぜたり切った野菜を混ぜたりするだけで料理ができるので仕方がないんですけどね。

その時に物凄く申し訳なく感じて何度も頭を下げて謝った所、とっても感じのいい方で笑顔で手を振ってくれました。

その後入門編というにはあまりにも稚拙なミニ絵本的な文庫本を購入して「簡単な挨拶ぐらいはできたら良いな」と思って仕事の合間に練習したり「のっぽさんのコミュニケーション入門」という番組はディベートや手話について学ぶ番組だったのでテキストを買って簡単な接客表現を学びました。

2度目の出会いは地下鉄の車内でのんびりドアにもたれながら手話で楽しく会話をしているカップルがいて、そのすぐ後ろを物凄くイライラした顔で睨んでいるおっちゃんがいました。その様子は「ドアが開いたら思いっきり体当たりしてやるぞ!」的に見えます。

危ないと思ったので危険を知らせようとしたのですが、手話が分かりません。
でも後ろから不意打ちをくらったら怪我をしてしまうかも知れないのでとっても心配になり「後ろ。後ろ。」とできるだけ大きな口を開けて動かし、読み取って貰えるよう繰り返し二人の後ろを指さしました。

その二人は不思議そうな顔をしましたが、次の駅で開かない方のドアへ移動してくれたので危険は回避できたとホッとしました。

でも少し不思議そうな顔をしてこちらをチラっと見ていたので、誤解されていたらどうしよう。と悩みましたが手話が全くできないkuma-yomeには申し訳ない表情でうつむく事しかできませんでした。

3度目の手話との出会いはファーストフード店で働いている時、注文の様子から「きっと手話を使って生活されている方だな」と分かったので、物凄く緊張しましたが、勇気を振り絞って手話で接客をしてみました。

もう頭のてっぺんから蒸気が噴出しそうなくらい恥ずかしくって緊張で手が震えていましたが、お客さんは少しビックリしたものの直ぐに笑顔になってくれました。

その時kuma-yomeが表現できたのは「いらっしゃいませ」「お持ち帰りですか?店内ですか?」「熱いのと冷たいのどっちにしますか?」「少しこちらでお待ちください」この4つダケでした。

商品が出来た時カウンターから飛び出してお客様の元まで商品をお届けしたのですが、周りの子からは点数稼ぎとしか見られませんでした。

kuma-yomeは当時厨房担当でしたが、時々カウンターが人手不足の時は接客に回る事がありました。営業の経験も接客業の経験もありましたのでレジの操作さえ覚えれば後はバッチリでしたしね。

忙しいからと雑な接客ではなく一人ひとりお客様の顔をしっかり見て、お客様欲している接客を心がけていました。

だから他の人が気が付かなかった手話対応も素早くできたのだと思います。
丁寧にお客様の顔を見ての接客と言うと遅いと誤解されるかも知れませんが、当時お店では「30分で何人のお客様をピーク時に注文を受ける事ができたか」と「季節限定品のお声かけをして何個売れたのか」と言ったデータが控室に張り出されていました。

kuma-yomeは厨房担当にも関わらず30分接客は時々1位になれましたし、季節限定商品のお声かけでは店長からお褒めの言葉を頂き、エリアマネージャーからの言葉かけも頂きました。

まだ慣れない間から丁寧に接客をすれば段々と慣れて来た時にスピードアップが出来てミスも少なく混雑時に不快な思いをさせる事がない接客ができるのだと信じて働いておりました。

身体障害の方に関しては、慣れない身で無理に車いすを押さない以外はそれなりに喜んで頂ける接客ができたと当時30代だった私は思っていました。

でも手話だけは「もっと緊張せずにできたら良かったのに」とか「時々下を向いてしまったから分かり難かったかな?」とか「緊張でこわばった顔が怖かったかな?」とか反省の思いばかりが頭の中をグルグル回っていました。

4度目の手話との出会いは、子供が小学校に上がってしばらくした時、いきなり「手話習いたい」と突然言い出しまして、自宅では全く手話の勉強をしている様子を感じさせないようにしていたのですが、時々見ていた手話ニュースで気になったのでしょうか?

体がとても弱く学校を休みがちだった子供は勉強は落ちこぼれ。虐めの対象となってしまいました。
kuma-yomeも必死で教えようとしますが、プロではないので空回りし、逆に子供を傷つけてしまいます。

それでも定年まじかの信頼できるベテラン先生に相談して「よりよい指導方法を模索」様々な教育的講演会に行ったりして素人にできる範囲の学習指導を心がけましたが、当時は幼児教育に関する専門書が宮脇書店に教諭向けのが若干数ある程度で、三流高校卒のkuma-yomeにはかなりハードルの高い本でした。

学年が進むにつれて自分の落ちこぼれ感を痛い程実感していく子供。
クラスの子の心無い言葉。
荒れて行く性格に感情的ではなく、穏やかに接しなくてはいけないと分かっているのに、日々孤くな答えのない問題を問き続けなくてはいけないストレスから親である自分が時々子供を傷つけてしまう事もありました。

でも「何かやればできるんだ」「人の役に立てるんだ」という事を感じて貰おうと簡単な料理は低学年の間から仕込みました。

kuma-yomeの体がとっても弱くって時々寝込んでしまったり、緊急入院してしまったりなんて事がありましたからね。

親が突然死んでも数日なら食いつなげるそんな子供になって欲しい、どうしても危険がある時は(近所付き合いは無いけれど)近所や学校に助けを求めに行ける。

そんな能力を付けようと必死で子育てしていたそんなある日の手話習いたいはとても衝撃的でした。

手話を遊び半分でやる事は許されない。
聞こえない、話せない人達とコミュニケーションを取るための大切な表現なのだと説明しましたが、子供の意志は固く小学生でもこんなに真剣なまなざしをするんだ。と思えるくらいの真剣さだったので「生涯学習」へ申し込みました。

最初は「年寄バッカリの集まりなので・・・」と断れたのですが、本人がとても真剣に学びたがっている事、保護者は付き添わず子供だけで行く事を伝え何とか入れて貰う事ができました。

会に参加している方々はkuma-yomeの祖父母と同世代の方々ばかりで、遠方に住んで居て中々お孫さんに会えない方々が多かった事もあり、子供は物凄く可愛がってもらえました。

学校では落ちこぼれでも手話教室へ行くと一番覚えるのが早いという最年少。毎週通ううちに自信をつける事ができましたし、全く違う世代の社会があるという事を学べたので良かったようです。

kuma-yomeは「生涯学習」で学んで来た事を子供から聞いて、いつの間にか少しずつ手話を覚えるようになっていました。

しかし 普段学校での虐めが原因で強烈な落ちこぼれ感が染みついてしまっている子供は年に1回の発表会の当日になると控室でパニックを起こしてしまいます。

手話劇なので一人でもかけてしまっては舞台が成り立ちません。
しかも子供はとっても良い役を貰っていますし、衣装も用意してく下さっています。

こういう時どうすれば良いのか悩みましたが、「舞台に出ろ!今までずっと練習して来たから絶対にやれる。出なかったら他人に迷惑がかかる!」と思わず怒鳴ってしまいました。

悪い母親だと思われればそれで良い。
ずっと頑張って練習した成果を「区民センターの舞台」で披露せず逃げてしまったとしたら、今まで頑張って来た事が勿体ないし、「些細な緊張や不安から逃げる癖が付いてしまうのではないか?」と大人なになった時の事を案じてしまいました。

kuma-yomeは生まれつき病弱だったせいで厄介者扱いされたり虐められたりしたけれど、いつも周囲とは逃げずに戦っていました。

今程虐めが陰湿では無く表面的に激しい物だったから戦えたダケなんでしょうけどね。

今は「もっと成功体験を多く経験しておけば良かったな」とか「諦めずにできそうな事は色々挑戦しておけば良かったな」と子供の頃の自分に問いかけてしまいます。

結局子供は毎年控室で物凄く荒れた様子だったのに、舞台にはあがりました。
たまたま居合わせた近所の方々が声を掛けに来て下さって、何人もとっても褒めてくれたんですよ。子供は舞台が終わった後はとてもご機嫌でした。

5度目の出会いはご近所さんに手話で生活されている方が引っ越して来た時でした。
kuma-yomeは日曜出勤が続いていたので引っ越しのご挨拶に何度も来て下さっていたのですが、全く会えませんでした。

旦那様が通訳として同行してくれていたらしく、自己紹介から始まったそうなんですが、子供は手話を見た瞬間緊張した様子もなくスラスラと手話で会話を始めた為、通訳に来た旦那様が物凄く驚かれたそうです。

奥様は専業主婦で普段家に一人で居る事が多く、妊娠中なので色々と不安があるようなので「是非話し相手になってあげてください」と旦那様はまだ小学生だった子供に顔を近づけて話してくれたそうです。

それから長男は大張り切りで町内会の掃除に行っては若い奥様と手話で会話をしながら一緒に掃除したり廊下で雑談をしていたようです。

kuma-yomeは町内会費を持って行く時間の打ち合わせや「天気が良いですね」程度の世間話しかできませんでしたけどね。

主なかかわりはその程度しかありませんでしたが、一生大阪市から出ない奴と周囲のすべての人間から思われていたkuma-yomeなので、「多くの人と話せるようになりたい」と色々勉強しましたが、講師の先生に褒められて段々簡単な会話ができるようになった頃に体調を崩したり、家に様々なトラブルが起こって習い事をやめなくてはいけなくなり、NHKの手話講座すら見る精神的、体力的余裕も無くなってしまう事が続いてしまった40数年間。

今の市に引っ越してたまたま募集があった「手話講座」に2回目の募集チラシを見て勇気を振り絞って応募。

何とか1年間通う事ができ、超入門編の修了書を授与されて「さてこれからどうしよう」となってしまって、講座終了後にエスカレーター式で入る事が決まっている手話サークルは同じクラスの方がとても問題アリアリの方々だったので諦めて近隣の市へ習いに行く事にしました。

それから数か月悩みに悩んで「検定試験受けるぞー」と決意。
田舎だとコンビニの数が少ないので中々申し込みができませんが早めに試験対策本をAmazonで買って貰いました。

勿論kuma-yomeの小遣いですけどね。
老熊はいつも「経費で買ったるで」と言いながら買ってくれないのでやりくりが大変。

正確な日時も会場も分からない状態ですが、超入門講座で学んだ手ごたえ的には「結構やれるやん?」だったので5か月コツコツと勉強すれば何とかなるかな?と思ったり。

 

問題は老熊の車中泊行こうぜ!」の一言。
老熊が留守の間に必死で勉強する予定ですが、家にいる間は全く勉強をする暇がないのに、「疲れがたまってるからゆっくりしたい」と言っても「体が痛い」と言っても許されないので一体どれくらいの日数勉強ができるんでしょうかね。

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老熊何でもガラクタ集めが大好きなので周囲から呆れられる事が多々ありますが、旅行のお土産を買って渡した事なんて殆ど無いのに自分は旅行のお土産を貰ってきます。流石何でもありの筋金入り末っ子。

時には人から頂いたプレゼントなのに「お前にやるわ」と言われて持って帰って来ます。

仲の良い先輩は「ちゃんとお礼をしろよ。」と言ってもあんまり気にしていない様子。

他の人だととっくに嫌われて除け者にされてそう・・・

 

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